人間界・コロナ西方に、ヘートと言う街がある。
大神官と副官が住む神殿がある為か、魔法使いの人口も、魔界との行き来に使われる『扉』の数が多い。
『扉』は街の至る所にあり、魔法道具関係を扱っている店には、必ず1つある。
商品を仕入れに魔界へ行く事が多いからだ。
だから、それが故障すると非常に困る訳で。
「あー、文字の所がほつれちゃってますね。ほら」
とフェルナンドは言って、ほつれている所を指差した。
焦げ茶の髪に、眼鏡の奥にある大人しそうな生壁色の目。
その外見からは、大神官副官とは思えないほどに、フェルナンドは普通の青年ぽかった。
店主の男性が「えっ、本当かい?」と言って、目を丸くする。
フェルナンドは「はい…」と申し訳なさそうに言った。
魔法使いから魔力を分離させる薬を作る為、その材料を仕入れに、この店にやって来た。
その時に店員から「扉の調子がおかしいんですよ」と言われ、その『扉』である物を見せてもらったのだ。
『扉』はワインレッドの大きな正方形のカーペット。
白い円の中に星印と、くねくねとした魔法文字があった。
一見描いてあるように見えるが、実は全て刺繍だ。
「インクで書くより刺繍にした方が持ちはいいんだけど、こう言う時の直しが面倒なんだよなあ…」
フェルナンドが示した部分を見た店主は、呻くように言う。
『扉』として長年重宝してきたカーペットの傷みは、直すのが少し面倒だ。
魔法専用の特別な糸で直さなければ駄目で、そしてそれは、簡単に出来るものではない。
刺繍している間中、ずっと糸に魔力を注がなければいけないのだ。
「でしたら、僕が直しましょうか? 今日・明日と仕事がありませんし、糸なら神殿にありますから」
「えっ、いいのかい!?」
店主の顔がパッと明るくなる。
つられてフェルナンドも明るい笑顔を浮かべた。
「今日1日貸していただければ、明日のお昼までには」
「頼む! 是非やってくれ!!」
両手をがっちりと握られ、フェルナンドは「はい」と言った。
が、笑顔で開けられたドアの向こうに見えるガラスケースを指差す。
そこにあるのは巨峰と同じくらいの大きさの、さくらんぼのような色をした実。
「その代わり、あのメイバの実。オマケしていただけませんか?」
「……商売上手だな…」
「えっ!? いえ、そんなっ! ただ安い方が支出を抑えられるから…!」
店主の言葉に慌てて言うと、店主の顔がくしゃりと笑った。
ガハハと笑ってフェルナンドの肩をバシバシ叩いた。
「かまわないって事よ! いつもご贔屓にしてもらってるからな!」
「わー、ありがとうございます! じゃあ、すぐに直しに入りますねッ!!」
「おぅ、頼むぜ!! で、メイバの実はオマケして220円な」
「はいっ! ありがとうございます! それじゃあ!」
代金を支払いお釣りを受け取り、カーペットをクルクルまとめ、フェルナンドは意気揚々と店を出た。
その後ろ姿を、店主と店員は並んで見つめる。
「…転んで眼鏡壊す方に300円賭けます」
「…じゃあ俺も壊す方に400円」
「それじゃあ賭けになりませんよ店長」
「壊す率の方が高いだろうが馬鹿野郎。ほら、店に戻って仕事するぞ!」
「はーい」
++++
広い湖に包まれるように建っている神殿は、湖の上に浮いているように見える。
その大きさと城のような外観から「お城」と呼ばれる事もある神殿へ、橋を渡って中に入ったフェルナンドは入り口手前で火大神官トリオを見つけた。
彼女たちの手にはたっぷりの草が入った籠があるので、薬草を採っていたとわかる。
彼女達もフェルナンドを見つけ、笑顔で手を振ってきた。
朱が混じった黒い髪に綺麗なバーガンディーの目をした褐色肌の美人は、にこにこしていた。
「お帰りフェル。メイバの実買えたの?」
「はい、スーリアさん。実はオマケしてもらえたんですよー♪」
「まあ、どうしてです?」
訊いたのはラーニャだ。
隣には双子のターニャが立っている。
2人とも黄櫨染の髪を持ち、目は金色。
ラーニャは髪を耳の辺りまでで切り揃え、ターニャは方の辺りで切り揃えている。
異国出身の火大神官と精霊の副官2人に、フェルナンドは丸めていたカーペットを軽く上げてみせた。
「これ、お店の『扉』なんですけれど、文字も魔法陣も刺繍で。文字の部分がほつれていたから直すんです。あちらでは時間がかかるでしょうから」
「それでオマケしてもらえたってワケね」
「はい。ところでカーター様はどちらに?」
「カーターならシリウスと書庫で読書中よ」
フェルナンドはペコリと頭を下げて礼を言い、軽快に神殿内へ歩いていった。
「さて。あたし達も戻りましょうか」
「ではお茶にいたしましょう、ねえターニャ?」
「そうね」
笑顔で頷いたターニャだったが、ふと鼻に入った臭いに顔をしかめた。
それを不思議に思ったラーニャだったが、すぐに理解し、一点へ視線を向ける。
副官の変化に気付いているスーリアだったが、それがなぜなのか解らなくてキョトン。
普段穏やかな2人の目が鋭くなっている。
「何、どうしたの」
「…血の臭いがします」
スーリアを守るように2人が動いた瞬間、茂みがガサガサと揺れて大きな黒い獣がヌッと出てきた。
一瞬空気がピンと張るが、出てきた獣を見た瞬間緩んだ。
スーリアはホッと胸を撫で下ろす。
獣はこの街にいる筈のない黒い豹だったが、右目が金色、左目がエメラルド色だからだ。
「なぁんだロゼウスじゃない……脅かさないでよ」
黒豹姿のロゼウスはスーリアを見ながら、ペロリと口周りを舐めた。
スーリア達に対して悪い事はしていない気はするが、脅かしたのなら仕方ないかと思う。
「悪い」
そう謝るとスーリアの脇をトコトコと通り過ぎた。
スーリアは副官2人に笑いかける。
「やー、血の臭いなんて言うからビビっちゃった! ロゼウスだったのねー! ……アラ、どうしたの、2人とも難しい顔しちゃって」
「ローランド様…ちゃんと手足を綺麗にされたのでしょうか?」
ターニャの言葉にスーリアは首を傾げた。
神殿の正面扉以外に、シリウスとロゼウスが変身している時に使う出入口があるが、そこには泥を取るためのタオルがちゃんと置いてあるから、別にどうと言うものではないと思ったのだ。
シリウスもロゼウスも綺麗好きだから心配いらないだろうに。
「平気でしょ? タオルで拭くんだろうし」
「いえ、そうではなくて…」
「?」
「スーリア様。血の臭いはローランド様からしていたのですわ。多分狩りの帰りでしょうから、タオルが真っ赤になるのではないかと思いますの」
ターニャの言葉にスーリアの顔がサッと青くなった。
一目散に歩いているロゼウスを追いかける。
「ロゼウスちょっと待ってー!! タオルで拭く前に湖で洗ってちょーだいー!!」
++++
スーリアは今日も賑やかだな。
外から聞こえたスーリアの声に、シリウスは顔色変える事なく視線を外から本へ戻す。
読んでいるのは魔法省から送られてきた、大戦に関する研究の最新物だ。
カーターは図書館から借りてきた冒険小説を紅茶片手に読んでいる。
紅茶を音も立てずに飲むと、静かに口を開いた。
「どうじゃ? 『何』かあったか?」
「いや…今の所『何』も無い」
シリウスの言葉に、外見年齢は最高齢だが実年齢は一番下と言う白髪の大神官は、ホッホと笑った。
「大戦の『魔法』はお伽話で伝わっとるのが一番じゃ」
そう言ってまた笑った。
白髪に薄茶の目。
副官と同じく、大神官には見えない老人だが実力は確か。
しかも称号は2つ。
カーターの笑い声にに対し、カーターと同じく大神官には見えないシリウスも、小さくだが笑った。
大戦の詳細は、知るべきではない。
そこであった数々の出来事は秘匿しなければ。
それを知ってパニックが起きるかもしれないし、それを悪用する者が出るかもしれないから。
だから大戦関連の記事や本が出る前に、魔法省のトップや大神官がマズイ事はないかチェックする。
まあ、出版に至るほとんどは魔法省の検閲を通っているので「大丈夫」なのだが、念の為。
カーターはフと疑問に思って、目の前の水大神官に訊いてみる。
「前の北の魔王が亡くなって、お前さんが新しい魔王になったんじゃよなぁ?」
「そうだが…?」
シリウスが魔王であると言う秘密も守る事。
それは大神官になる上での条件だった事を思い出す。
目の前で不思議そうな顔をしている見た目・青年のシリウスが魔王だー、なんてのは、本人が目の前で魔王化したのを見た後でも、実感出来ないのがカーターだった。
確かに魔力はひどく純粋なもので、大きかったけれど…。
それっぽくないからかのう…と思いながら純粋な疑問から質問を続ける。
「お前さんは覚えておるのか? 大戦の事は?」
「あぁ、覚えてる。と言っても、先代の力を継いだのと同時に大戦の記憶も受け継いだ程度だが」
「では、魔王殿にお訊きしようかの?」
カーターが悪戯っぽくヒッヒと笑った。
シリウスも悪ノリして、椅子に足を組んで座って「どうぞ」と両手を軽く動かすジェスチャーをした。
「バハムートの目から見て、その本は合格かのう?」
「問題無しだ」
静かな笑みを浮かべて立ち上がり、半分紅茶が残っているカップを取る。
「では、出かけてくる」
「ホゥ、どこへじゃ? この色男」
紅茶を一気飲みしていたシリウスは、ニヤニヤしているカーターを軽く睨む。
「娘と会う約束をしているだけだ。ロゼウスには『21時には戻る』と伝えておいてくれないか?」
「おー」
カーターは紅茶を飲みながら、手をヒラヒラと振って答えた。
返事に力がないのは、シリウスが椅子の背にかけていた上着を着てかき消えた後、外の芝生からこちらを覗いていたオッドアイの黒猫が植木の影に『飛び込んだ』から。
ロゼウスは「ついてくるな」と言われてもコッソリついて行くのだ。
そうやってシリウスを狙う奴がいれば裏道で叩きのめして警察に突き出すのが当たり前だった。
今日もついて行って、親子デートの邪魔をせず、主人とその娘を守る気満々なのだろう。
カーターは空になったカップに紅茶をなみなみと注ぐと、廊下に向かって声をかけた。
「もう入って来ていーぞー」
入り口から、丸めたカーペットを抱え、裁縫道具を持ったフェルナンドが顔を出した。
苦笑すると「失礼します」と言って中に入ってくる。
「いつから気付いていらっしゃたんですか?」
「シリウスにそこの本が合格かどうか訊いた時からじゃ。て言うかフェル、お前は気配消す気あったんかい。ワシだけじゃないわい。シリウスだって黙っておったが、気付いていたぞ。消すならトコトン消せ!」
「えへへ、忘れてました〜」
照れたように笑うと、カーターから少し離れた所にカーペットを「よいしょ」と置き、裁縫道具を置いた。
カーターは最初は不思議そうにカーペットを見ていたが、フェルナンドが広げたカーペットを見て理解する。
「何じゃ、アランの所の『扉』か」
フェルナンドが『扉』を預かった魔法道具専門店の店主の名前だ。
フェルナンドは笑顔で頷く。
「はい。ほつれていたので、僕が直す代わりにメイバの実を安くしてもらったんです♪」
「ほぉ! そりゃイイのう! …でも出来るんかお前さん」
「出来ますよ!」
上官の言葉にフェルナンドはプンスカ怒った。
針に糸を通そうとしていた瞬間だったので、カーターは言った瞬間「刺すか!?」と不安になったのだが大丈夫だったのでホッとする。
「そりゃ、僕は落ち着きがなくて眼鏡を壊す事しょっちゅうですけど、魔法関係の事なら落ち着いて出来ます! これでも副官ですよっ!?」
結構怒っているので本当に針を指に「ぶすッ!」と刺すのではと危惧したカーターは、慌てて謝ると落ち着かせる為にお茶を勧めた。
「ほれ! まずはお茶でもどうじゃ!? な!? な!?」
「あ、いただきますー」
コロッと笑顔になった。
それはそれで安心なのだが、もう少し落ち着きを持って欲しいと、カーターは時々願うのだった。
けれど、それはいつもと何ら変わりのない、平和な光景。
そして、毎度のような、休日の光景だ。