1人の少女と、1人の青年が、庭園にある石造りの階段に並んで座っている。
2人とも目を合わせる事はなく、ただボンヤリと空を見て、そこにいた。
「あの…」
少女が口を開く。
眼鏡の奥の目は青年を見ていないが、心は青年の方に向いている。
「これ、あげます。1日遅れですけれど」
「あ。ありがとう…俺も。これ」
「ぁ……ありがとう、ございます…」
少女は青年が差し出した手の平サイズの小さな箱を、大事に受け取った。
少女は頬の熱さを感じつつも、隣を見ずに、また空を見て言う。
「今年も渡したんですよね…? でも、言わないんですか…? ずっと?」
「言わないよ。俺は臆病だから。だから言えない」
声の響きが、僅かに柔らかくなった。
少女は小さく息を吐く。
「時々、嫌にならないんですか?」
「あぁ、なるね」
物事は、気が付いたら始まっているもんだと思う。
特に、悩みの種なんて知らない所で芽吹いて、その存在に気付いた頃には、それはもう立派に育っていたりする。
摘み取るには大き過ぎて、どうにも出来ない。
今から二年前の、チョチョコリーナとロゼウスの会話だったりする。
++++
2月14日、『エグザ』は繁盛していた。
毎年バレンタインデーにバレンタイン限定の特別菓子を、驚くほどの安値でサービスするから。
そしてそれらは全て、「美味しい」と胸を張って言えるものだった。
今日限定の特別価格であり特別製の菓子目当てのカップルやら、常連客やら、通りすがりの人やらで、いつも以上に賑やかだ。
エレナを含む従業員が忙しそうに、けれど楽しそうに店内を動き回り、看板猫・カミオはチビッコに抱っこされてムズムズしている。
普段は奥で料理などをしている店長のランディーヌも出てきていて、レジの所にちょこんと座って、にこやかに客を迎えていた。
常連客の勘定を済ませた時、何かに気付いたのか店の外をチラ、と見た。
それから、エレナを呼ぶ。
「エレナ。チョチョコリーナちゃんと、シュバルツ君の所にね、椅子をもう一脚出しておいて。カルロ君が来るわ」
「はーい」
エレナは頷くとチョチョコリーナとシュバルツのいるテーブルまで行く。
混雑しているとは言え、人が通れるほどのスペースは充分にあるのだ。
オカリナとシグナルは2人でデート、カルロは調べモノとかでまだいない。
エレナはテーブルの前に来て、シュバルツがまだ悩んでいるのに気付く。
チョチョコリーナと目を合わせて笑うと、ペンと注文票を取りだして営業スマイルを浮かべた。
「お客様、ご注文は?」
「えっ! いや、ちょっと待ってくれよ。今! 今決めるから! ん〜、ん〜…」
子供のように、メニューをじっと睨んで指で一覧を追う姿に、チョチョコリーナとエレナが吹き出した。
「シュバルツ…慌てなくてもいいんじゃない? じっくり考えたら?」
「そうそう。悩む時間はあるわ」
含みのある言葉に、チョチョコリーナとシュバルツは顔を見合わせて、エレナを見た。
エレナはくす、と笑うと、店の外を見る。
「さっき店長が『もうすぐカルロ君が来る』って言っていたから」
「あ、じゃあ大丈夫じゃないシュバルツ。沢山悩めるわよ?」
「もうすぐって、あんま時間ないよーな…て言うか、幸せなのか…」
「幸せよ。美味しい物の中から美味しい物を選べるんですからね」
エレナの心底嬉しそうな笑顔につられて、チョチョコリーナも笑顔になる。
悩み始めたシュバルツを横に、エレナに小声で問う。
「何だか嬉しそうですね」
「ん? そうかしら? でもそうね、確かに嬉しいかも…ふふ」
「イイコトあったんですか?」
「えぇ」
エレナは楽しそうに笑うと、厨房の方を見てから、チョチョコリーナに耳打ちする。
「腕のいいパティシエが2人来ているから」
そう言うと自分の前に椅子を一脚、魔法で出して、注文を取りに奥の方へ向かって行った。
本当に楽しいのか、注文を取りに行く時に弾んだ様子だった。
長い白銀髪が左右にゆらゆらと揺れている。
普段から明るい人だけれど、あんな風にスキップしそうな感じではないので、チョチョコリーナは首を傾げた。
シュバルツは、メニューから候補を3つに減らしていた。
と、メニューを軽く引っ張られて顔を上げると、チョチョコリーナがこちらをみている。
「どした?」
「エレナさんって、恋人とかいるの? 長い付き合いでしょ、何か知らない?」
チョチョコリーナの小さな声に、シュバルツは目だけ動かして周囲の様子を見てから、口を開いた。
「そら長い付き合いだけどな。エレナちゃんが生まれた時から、知ってるし」
「へえ…で?」
「俺の知る限りじゃあ、エレナちゃんはフリーだ。恋人なんて出来たら、真っ先に連絡しそうだし…」
「エレナさんのお父様に?」
シュバルツは短く「ん」と言って、再びメニューに目を戻した。
「どんな人?」
「えッ」
「…何でそんなギクリって感じになるの」
「いや何となく」
「それで、どんな人?」
「うー……どんな、って…」
シュバルツは悩んだ。
ここで言っていいものか。
多分大丈夫だろうけれど、でも本人達の了承無しに言うのはまずいだろうなー、ンー。
「何ブツブツ言ってんだ?」
「え?」
メニューから顔を上げると、自分を不審人物でも見るような目で見るカルロがいた。
コートとマフラーを脇に抱え、座ろうとしていたらしい。
エレナが…と言うか、店長ランディーヌが言っていた通りに来たので、チョチョコリーナはシュバルツを見た。
凄い、本当に来たわ
シュバルツも驚いているが、その事をカルロに言うよりも気になる事があった。
「カルロ、お前『ミニチュア』は? 魔法の臭いプンプンのアレ。大掃除の時に見つけちゃったやつ」
「あー…全然進まなっくてさ、眠くなってきたから気分転換にココに。頭使う時は糖分がいいんだってさ。で、何ブツブツ言ってたんだ?」
シュバルツがブツブツ言っていた理由をチョチョコリーナが説明すると、カルロも興味を持ったのか同じ事を訊いてきた。
シュバルツの耳が垂れる。
「お前らさぁ…別にどんなだってイーじゃんかよ…」
「どんなかな、って思っただけよ?」
「そーそー。あ、メニュー決まらないんなら先に見てもいいか?」
「おー」
「ヒントくらいくれねえの?」
ヒント。
シュバルツは少し考えてから、ニィ、と笑った。
苦しそうな顔から一転、楽しそうな顔になった事に、チョチョコリーナとカルロは顔を見合わせた。
教えてくれそうだが、どうしてこんなに楽しそうなのか。
少し、不気味である。
「1番か2番か3番選べ」
「何だソレ」
「ヒントが3つあるって事ね…じゃあ2番」
「むっいきなりコレか…! 他のヒントにすりゃ良かったか」
「ブツブツ言っていないで、教えてくれない?」
「あー、おう。ええとな、同性にモテる」
「「?」」
チョチョコリーナとカルロはシュバルツを見、今言われた言葉を反芻していた。
それが頭にしっかり届いてから、二人同時に言う。
「…男に……なの…?」
「…それは…どーゆー…」
「どう、ってそりゃイロイロ。学生の頃はカッコイーて後輩に慕われていたし、先輩達にも一目置かれていたしな」
そう言ってから「まあ、俺様もだけど♪」とフフン。
「いやー懐かしい〜。あ、同じ高校行ってたんだよ。俺と、エレナちゃんのお父さんはよ!」
シュバルツはさらさらと喋ると、両腕を組んでウンウン頷いていた。
「そしてどれくらいの慕われ具合だったかと言うとだな…濃い順で行くと」
シュバルツが続けようとしたが、空気をシュンッと切って、白く光る何かがテーブルに刺さった。
あまりの速さに3人ともしばし固まり、それからテーブルに刺さった物を見て肝を冷やす。
ホットケーキとか食べる時に使う、あのナイフだった。
一体どこから、と思う前に、少し離れた所にいたウェイトレスが盆からナイフが消えたわーとオロオロ。
すかさずエレナがナイフを持ってきたので収まったが、消えたナイフがどこにあるのかわかった3人は、青くなってテーブルにあるナイフを見た。
「多分コレは『それ以上喋るな』と言う天のお告げだと思うのでヒント終了で」
「わ、わかったわ…」
「りょーかい……………………ん?」
カルロは何かが足に触れたのに気付き下を見た。
チビッコの腕から逃れたカミオが、カルロの足を右前足でチョイチョイ押していたのだ。
カルロが気付いてくれたので、猫型からエレナと同じ年頃の青年になる。
金茶色の髪から覗く耳が、ぴくぴく動いている。
「何だ?」
「ナイフを回収しに来ました」
「ナイフ? え、じゃあ、やっぱりさっき消えたナイフなの、コレ…?」
「ハイ」
ニッコリ笑ったカミオは片手でナイフの柄を掴むと、特に力を入れるでもなく、スッと引き抜いた。
それからナイフが刺さった所に指先で触れる。
「"雫落ちる前の水面のように、常のカタチに"」
そう唱えてから指先を離すと、ナイフが刺さった後は綺麗に消えていた。
カミオはチョチョコリーナ達に向かってニコリと笑うと、厨房へと向かう。
それを目で追っていた3人はそのまま黙っていたが、シュバルツがメニューの事を思い出してビクンと震えた。
「そーだメニュー! カルロ、おま、決めたのか!?」
「お? あ、うん。俺ガトーショコラ。チョチョコリーナは?」
「私ティラミス」
「そうかぁ……んー、俺は〜………敢えてチョコレート系にしようか、それとも…」
「チョコレート系にしとけばいいじゃないか。バレンタインなんだし」
「そうだな…じゃあチョコレートケーキで。酒が入ってるみたいでさぁ、美味そうなんだよなぁ…♪ 美味かったらお土産にしようかなぁ…ティターナとフィス、喜ぶだろーなぁ…うふふ〜」
大事な大事な妻と息子で頭いっぱいになったのか、シュバルツはうっとりと幸せそうな笑みを浮かべており、チョチョコリーナとカルロの呆れ顔には気付いていなかった。
チョチョコリーナは店内の客を、ぐるりと見る。
やはりバレンタインデーだからカップルが多かった。
初デートなのか緊張した様子のカップルもいれば、とても楽しそうに笑っているカップルもいる。
前者は前日か今日、どちらかがどちらかに告白して店に入ってきたのだろう。
後者は長い付き合いだと思った。
『長い付き合い』で思い出す。
(ロゼウスさん…まだ、告白していないのかしら…)
今頃、いつ渡そうかソワソワしているんだわ。きっとそう。
チョチョコリーナはそう思った。
だって好きな人が傍にいるのだ。
ソワソワしない訳がない。
++++
「あ、そーです!」
カミオは厨房に入った途端、声を上げる。
その勢いか、耳と尻尾がピンとなった。
「さっき聞こえたんですけど、カルロ君、不思議なミニチュアに困っているみたいでしたよ」
テーブルから引き抜いたナイフを引き出しにしまいながら言うと、調理中のパティシエ2人がピクリと反応した。
そこにはエレナもいて、先に口を開いたのはエレナだった。
「不思議なミニチュア? 何、それ?」
「よくわからなかったんですけど、シュバルツさんが魔法の臭いプンプンって言ってました。魔法関係の何かじゃないですか? パパさん、知りませんか?」
そうカミオに訊ねられたのは、「今日、彼女と過ごしたいんで」と言って休暇を取ったパティシエの服を借りて調理しているシリウス。
だが、白銀の髪は魔法で黒く染められ、左頬の痣は消されている。
部外者がウッカリ入って来ても大騒ぎにならない為の、いわゆる『変装』だ。
シリウスはクリームを泡立てている手を止めずに少し考え、短く言う。
「わからぬな」
「そーなんですか?」
「その"不思議なミニチュア"に関する情報が無いからな…」
「ところで、シュバルツはどうだったんだ?」
シリウスと同じように、「今日、彼女と以下略」のパティシエの服を借りて…のロゼウスが訊く。
ロゼウスも魔法で髪を明るい茶色に、両目を黒に染め、頬の痣を消し、尖った耳を人間と同じ耳に変えている。
黙々と作業を続ける姿に、エレナが溜息をついた。
「ねえロゼ、どうしてナイフなんて投げたの。しかもお客様に出そうとした瞬間に」
「シュバルツが阿呆な事を言おうとしていたから。だから影を使って、ちょっと」
ロゼウスがにこやかに微笑むが、その下には絶対零度の怒りがある事を、エレナは十分理解している。
怒った表情でロゼウスを見る。
「パパの学生時代の思い出話でしょ。ナイフを投げなくてもいいんじゃないかしら」
「あ、男がどーこー言ってましたよ?」
カミオの悪意の欠片もない一言に、ロゼウスが口の端をつり上げて笑い、エレナが目を丸くし、シリウスは手からボウルを落としそうになった。
エレナは眉間を押さえる。
しばらくの間、厨房外から聞こえてくるざわめきと、ロゼウスがシュークリーム生地にカスタードクリームを入れる作業音しか聞こえなかったが、最初に立ち直ったのはシリウスだった。
「そ、その…私の、昔の事は置いておくとしてだ……ミニチュアか…明日、ヴァルナに訊ねてみるか…」
立ち直ったのか、少し考える様子で再びクリームを泡立て始めた。
エレナは短く息を吐いて気を引き締めると、ロゼウスに二度とやらないように言い、カミオと一緒に厨房を出ていった。
ロゼウスはクリームを詰めつつ、シリウスを見る。
そして手を止めると、そのまま台の上に置いてある段ボールの影に手を伸ばし、ほんの少しだけそこに手を沈めた。
黒い影の中に手が溶け込み、奥にある物に、コツンと触れた。
「よし」
シリウスが短く言いこちらを向いたので、ロゼウスは慌てて平静を装った。
手は影に溶け込んだまま。
シリウスはボウルを台に置いて泡立て器を水につけると、ボウルに少し濡らしたタオルで蓋をした。
「あとは数分寝かせれば良いな。ロゼ、そっちを手伝おうか?」
「えっ。あ…はい」
思わず視線が泳ぐ。
シリウスがこちらへ来たので、そっと影から手を抜いてポケットに突っ込んだ。
内心慌てた為に、手を抜く時影の中から物を一緒に抜き取ってしまい、急いでポケットに物を突っ込んだ。
何も考えていないような表情のまま、どうしようかと激しく悩む。
シリウスはシュークリームの生地を数えてから、もう一つあった空の袋を取ってそれにクリームを詰め、生地を一つ手に取った。
シュークリームが切れそうだから作っておいて、とエレナに頼まれたのだ。
少々数が多いが、分担すれば早めに出来上がりそうである。
「うむ、間に合いそうだ」
「…あの、旦那」
「何だ?」
「これ…どうぞ。お世話になっているので」
濃い茶の包装紙に包まれた、正方形の薄い箱。
包装紙には金色の字で『シャリュトリュー』と社名が印刷されていた。
それはまるで模様のようにある。
薄いチョコレートの板に絵を描いたチョコレートが有名なチョコレート会社だ。
差し出された物を、シリウスは少し照れ臭そうに笑って受け取った。
その笑みは小さいが、ロゼウスにはしっかり見える。
「私の方が、世話になっている気がするのだがな…ありがとう」
「いいえ」
ロゼウスはホッとしたのと同時に、嬉しくなって笑う。
言葉にするなんて、その後が怖くて決して出来ないけれど。
ほんの少しを、行動にするくらいなら。
++++
今から2年前の、チョチョコリーナとロゼウスの会話の続きである。
「シリウスさんに『好きです』って言っても、大丈夫だと思いますけど…」
「うん…でもいいよ。今はこれでいいと思っているから」
「どうしてですか? 告白する事って怖かったりしますけど、言いたくならないんですか?」
「時々なるけどね…。何だかんだ言って、傍にいられるから。それだけで、結構幸せだしね」
「そんなこんなで約300年ですか…??」
「正確にはプラス50年だよ」
「…何か、マゾみたいですよ?」
「確かに。そうだね」
悩み事の種が、その存在に気付いた頃には大きくなり過ぎて、花になっていたりする。
けれど、その花の存在は心地よいから、嫌じゃない。
焦らずに、育っていくのを見ているだけで、満たされる。
バレンタインは、愛を告白するだけではない。
常日頃から世話になっている者に、感謝の意を届ける日でもある。
友達や上司、家族など。
人間界では女の子や女性が愛の告白をするとか、友達同士でプレゼントしあう事の方が目立つ。
しかし、魔界では男も女も互いにプレゼントをする。
色んな関係に感謝を込めて。
だからロゼウスはシリウスに渡す、そう言う事に便乗して。
感謝の意と、もう一つの気持ちを込め。
(告白なんてなぁ…出来ないだろ、絶対に…)
傍に居続ける為、嫌われない為に。
多分、一生、しない。
+
+
+