「ロゼさ、シリウスに懐いてはいたけど、呼び方に苦労していたな」
その言葉で一気に当時を思い出したのか。
ロゼウスだけでなくシリウスも赤くなった。
それを見たセイレムはプッと吹き出す。
「あっ。懐かしいその反応!」
シリウスは少し赤いまま、椅子に座って紅茶の入ったカップを取る。
「…止めんかセイレム。何百年前の事だと思っている」
「んー…500年くらい? ロゼがウチに保護された頃だから…なあロゼ? アレ、何で俺を睨む?」
「うるさい馬鹿野郎」
長身のロゼウスが睨むが、何百年も前から何かしら言っては睨まれているセイレムは気にしない。
それを見ていたロゼウスは無駄だと判断し諦める。
セイレムはシリウスと同じ顔なのだが、造作や表情が全く違う為、同じ顔なのだとあまり意識出来ない。
初めて会った時はケラケラ笑っておらず、真剣な目で見てきたのでシリウスと見間違えたが、今思い出すと「有り得ない」と強く感じた。
なぜ見間違えたりしたのか。
ロゼウスが過去の自分を叱咤している間、セイレムは自分の机からファイルを取りだして、パラパラとページを捲る。
ロゼウスがキメラにされた事件の担当捜査官がセイレムだった為、ロゼウス自身の担当もセイレムだ。
変に気を使ってこないし、ストレートに物事を言ってくれるから、担当捜査官がセイレムで良かったとは思っている。
が、ロゼウス関係の資料を多く持っている点では、ロゼウスにとってあまり嬉しくない。
「最初の頃は、とにかく名前も呼べなかったんだよなー…どこに書いたっけな、コレの事……」
ロゼウスが椅子からガタンと立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待て。記録が残っているのか…!?」
「俺はお前の担当捜査官なんだから、お前の記録は保存するのが当たり前。定期検診の記録だけだとでも思ってたか? あっまいね〜」
ニマニマと笑い、人差し指をぴし、と立てる。
「普段の何気ない会話もチェック済み」
そう言ってニヤリと笑う。
ロゼウスはそのファイルを抹消したい衝動に駆られるが、仮にも相手は魔法省特別捜査官という輝かしい肩書きを持っている。
魔法省といざこざを起こすのは極力避けるべきなので、そこは一応、ぐっと我慢した。
向かい側に座っているシリウスが、小さいけれど鋭い声で言う。
「…ロゼ。堪えろ」
「解っていますよ、旦那……」
本当に解っているのかと訊きたくなった。
微かにだが、ガルルル…と唸り声が聞こえる。
セイレムが馬鹿な事を言わなければ良いのだが、と兄弟が危惧している事に気付いているのかいないのか、セイレムは鼻歌混じりにページを捲っている。
と、その手がピタリと止まった。
「あぁ、あったあった! 初めてシリウスの名前呼んだのは、意外にも保護されてから5日目でーす」
セイレムは「やー、早いねー」と笑った。

++++

当時がどんなもんだったかと言うと、こんなもんだった。

魔法省本部の敷地は広く、その一角に、保護されたキメラが過ごす『キメラ保護棟』がある。
キメラのタイプは様々で、動物のような者や人間に近い者もいる。
異なる種を掛け合わせている訳だから、奇跡的に生き残っても精神的に不安定になる事が多く、保護棟にて一見伸びやかな、けれど厳重な監視下に置かれている。
しかし、どう言う訳か精神的に非常に安定しているロゼウスは、医師達や職員達のピリピリとした視線に会う事がなかったが、必要最低限しか喋らないので信頼関係の「し」の字も生まれないし、何より「元」に魔族が使われている為、他からは特別視されていた。
が、セイレムはそれを気にせず、むしろ積極的に話しかけた。
担当捜査官云々もあるが、ロゼウスの過去片方が知り合いの魔族である為、個人的に訊きたい事が山ほどあるからだ。
最初は仕事の色が濃い会話が多く、セイレムは取り敢えず名前を名乗ってから、今の状況を説明し、ロゼウスが何と何を掛け合わせたキメラか本人から聞き、何を覚えているかのチェックをやった。
それがまずしなくてはいけない事だからだ。

それが終わると、私的な会話がドンと増えた。

保護棟内のロゼウスの部屋へノックも無しに入る。
ロゼウスは来るのが解っていたのか、既に起き上がっていた。
「よ。気分はどう、ラインハルト」
「別に、普通。お前は相変わらずなんだな」

当時は名前が無かったから、出身地とも言えるラインハルトの国名で呼ばれていた。
保護された初日にセイレムに「名前あんの?」と訊かれ困惑していると、ズケズケと「名前無いと呼ぶ時不便じゃん。オイとか言われたい?」なんてケロリと訊かれた。
名前を他人に付けられるのが嫌だったし、変な単語で呼ばれるのも嫌なので、セイレムが提案した国名で呼ばれる事にOKを出した。
昔の名前で呼ばれても、混乱するだけだ。
第一、どっちの名前もここでは呼ばない方が良い。

セイレムはベッド脇に椅子をガタガタ持ってきて座ると、制服の下からパンと牛乳瓶を取り出した。
朝ノックも無しにやって来て、本部付近にある人気パン屋のパン等、食べ物を持ち込むのが日課と化している。
「ほい差し入れ。病院の飯は健康考えて作ってくれるのありがたいけど、イマイチなんだよな。このパンは近くにあるパン屋で朝買ってきたから、出来立てホヤホヤだぞ。要らなかったら言って。俺食べる」
「貰う」
「うっ残念」
「…見つかったらどうするんだ? 医者とか、看護婦とか」
「あぁ平気。入ってくるな、って言ってあるから」

そんなこんなで日々を過ごしていたのである。
が、一見精神が安定しているようでも、何かしら引っかかるものはあったようで、時折それが見られた。
保護されてから数週間後。
いつものように他愛もない話をした後、セイレムが切り出した。
「あぁそうだ、この後定期検診するけど、シリウスも一緒だから」
「わ、わかった…」
声が緊張したものになる。
見ると、セイレムが(医師達には無断で)持ってきたカレーパンをもぐもぐ食べながら何やら必死に考え込んでいる様子だった。
人間のコード=ライゼルと魔族ウィルドガルド、その他諸々を融合させて生まれたキメラと解っていても、どうしてもウィルドガルドと比べてしまい、セイレムは吹き出した。
「何だ」
「あ、いや、ちょっとウィルドガルドと比べちゃってさ…アイツはそんな緊張してなかったからなあ。やっぱ、久しぶりだから緊張するか?」
ラインハルトが無言で頷く。それが真剣そのものなので、セイレムは椅子の背にもたれ、腕を組んで考える。
「今までに2回会っただろ? 初回はお前もシリウスも緊張したのは解るけど、3回目ではもう…」
「名前」
「はい?」
突然言われ、セイレムは首を傾げた。
「どう、呼べばいいんだ?」
思いがけない質問にセイレムはきょとんとした。
「え、どう…って……。シリウスの事?」
また無言で頷いた。
セイレムは顎を指先で掻きながら言う。
「別に………呼びたいように、呼べばいいんじゃないか? まあ……参考として言うとしたら、ウィルドガルドは魔王とか…あ、母上に叱られてからはシリウスって呼んでたな。ライゼルは大神官、って呼んでいたみたいだけど」
「…………」
「魔王はマズイから、他の2つとか。スヴァンホルムだと俺とシリウスが混乱するからアウトになるな。凄く変なあだ名とかで呼んだら激怒すると思う。参考になったか?」
「あんまり」
「まあ、別に呼び捨てでいいと思うけどな?」
「呼び捨てなんて出来る訳ないだろ!!」
初めて聞いた大声に、セイレムはショックを受けるよりも驚きで黙った。
彼が大暴れしたのは保護される直前までであって、それ以降は至って静かだったから、怒鳴るとは想像出来なかったのである。
ドアが開く音がして、2人は同時にそっちを見た。
「呼び捨てが何なのだ?」
入って来たのはシリウスだった。
セイレムとラインハルトを見て不思議そうにしている。
セイレムがすかさずラインハルトを見ると、姿勢正しくベッドに座っているので、セイレムはニコニコ笑顔の下で笑いを押さえようと格闘していた。
まるで軍人のように姿勢正しい。
そう言えば、ライゼルは軍人だったか。
セイレムは何も言わずにいるラインハルトの代わりに「どーぞ」と言う。
「どうした。何か言っていたようだが」
「んン?」
セイレムは、うっかり動揺を声に出していた。
それにシリウスが怪訝そうに反応し、ラインハルトがセイレムを見る。
ラインハルトの視線に気付いたセイレムは満面に笑みを浮かべた。
「いや〜実はさぁ、呼び方の事で色々…」
「あ、ちょっ…!」
「呼び方? 何だそれは?」
「ラインハルトがシリウスを呼び捨て出来ないってさ」
「…何だそれは」
ただ不思議に思ったのだろう。
シリウスがラインハルトを見るが、ラインハルトはシリウスを見ようとしない。
「試しに呼び捨てにしてみたら? ウィルドガルドはそうだったし、ライゼルは大神官って役職名で呼んでいたんだからさあ」
が、ラインハルトからは何の返事もこない。
セイレムは溜息をついてお手上げと言う様子になり、シリウスに近寄って耳打ちする。
シリウスが怪訝そうな顔で見るが、セイレムは「とにかくやってくれ」と小声で言うだけだ。シリウスは逡巡した後、短く息を吐く。
「ラインハルト、こちらを見ろ」
言葉に少し力を入れる。
言われたラインハルトは少し間を置いてから見た。
「構わぬから。呼び捨てにしろ」
「いや…ですが……」
ラインハルトが困っている。
セイレムは笑顔の下で爆笑しまいと闘っていた。
シリウス本人としては普通に言ったつもりのようだが、文字だけ追ってみると命令口調である事この上ない。
シリウスは魔王だから、言葉に少し力を入れて言えば半分魔族のラインハルトは大人しく呼び捨てにするんじゃないか…と言ったのだ。
シリウスは魔王である事を利用するのは嫌がったが、これでラインハルトとフレンドリーになれるぞと言うセイレムの囁きに負けた。
(これからを考えると、凄く良い提案だと思ったらしい)
やがて負けたのか、ラインハルトの口が動く。
「シ………ッ……シリウス……」

おぉ言えたァー!
バンザーイ! バンザーイ!

「様…」

バン……何だって!?

万歳が3回目の手前で止まった。
セイレムは「アララ?」と、恥ずかしそうにしているラインハルトを見る。
顔はシリウスの方を向いているが、オッドアイは完全に床を見つめていた。
そう言えば魔族は、無条件で魔王に従う本能が出る。
と言う事は、半分魔族のラインハルトが魔王に言われて名前を呼ぼうとすると、「様」付けになるようだ。
どうやら逆効果だったかとセイレムが心の中でガックリしていると、隣に座っていたシリウスが動いた。
「?」
見ると、何やらこちらも恥ずかしそうに顔を伏せて、ご丁寧に手で顔の下半分を覆っている。
「ど…どうした、顔赤いぞ?」
「い、いや……あの………ラインハルト」
「は、はい」
「様付けは…止めてくれ。その……は、恥ずかしいから……」
セイレムは目と口が仲良く大きく開かれるのを感じた。
勢い良く立ち上がると、ガシッ、と両手で兄弟の肩を掴む。
「お前何言ってンの!? 様付けで呼ばれるなんて事、大神官になって10年したら慣れたって、この前言ってただろーが!? 今まで何人の女の子にシリウス様〜って黄色い声で呼ばれたか覚えているか!?」
「そ、それとこれとは別じゃないのか」
「おーんーなーじーだ!! 違うのは性別だけ!!」
ラインハルトの呟きにセイレムが吠えるように言う。
「ぬ、ぬぅ……ウィルドガルドが様付けて私を呼ぶようなものだぞ……」
兄弟の消えそうな呟きに、セイレムはピタリと止まる。
シリウスは困ったように顔を赤くしたままで、俯いてしまった。
両肩を掴んでいた両手をそっと離すと、ドサリと椅子に座った。
椅子がキュイッ、と変な音を立てる。
「…お前らアホだ」
「な」
ラインハルトが顔色を変えるが、セイレムはそれを制する勢いでラインハルトを指差した。
「いいかお前はアレだ。半分魔族だからってのと長い事シリウスから離れていたせいで、シリウスにどう接したらいいかわからないんだろ。だからお前に宿題」
「「宿題?」」
シリウスとラインハルトが同時に首を傾げる。
「ラインハルト。お前、今度シリウスが来るまでに、シリウスの呼び方考えとけ。呼び捨てが無理で、敬称を付けるのもアウトなら、何か他の呼び方を考えろ」
「オイ、命令するな」
「ちょっと口調が荒いだけの提案で命令じゃねえよ、こんなん」
それを聞いたシリウスは無茶苦茶な、と思ったが口調が荒くなっているので黙っていた。
今のセイレムは怒っていて、尚かつ本気だ。
それをラインハルトも感じ取ったのか、大人しく引き下がった。
次にセイレムはシリウスを指差す。
「シリウスは、次に会う時にどう呼ばれても赤面しないようにイメトレ」
「イメトレ…? 何を言って…」
「克服出来なかったら赤面した顔の写真撮って欲しがる職員へ性別問わず売るぞ」
「解った」
即答。
写真を売られるくらいならイメトレの方がマシだ、と言う事である。
男に売られでもしたら恐ろしくて眠れない。

++++

「で…ロゼウスがたーくさん考えて、たーくさんシリウスに試して呼んで大丈夫だったのが『旦那』だったんだよな。で、ついでに自分の新しい名前も考えてるんだから、しっかりしていると言うか何と言うか………どうした2人とも。テーブルに突っ伏して」
シリウスは答えない。
代わりにロゼウスが応えた。
「黙ってろ馬鹿野郎…」
「あぁうん、解った。じゃあ俺はお茶を飲んでホッと一息」
セイレムはサラリと言ってのけると、ロゼウスが入れた紅茶をなみなみとカップに注いでいた。
紅茶がカップに注がれる音を聞きながら、2人は共通した思いを抱いていた。

恥ずかしくて死にそうだ。



Blue Garden (C) Kanae, All Rights Reserved.
→ Seirios へ戻る?