遠くから聞こえる喧噪を、ふいに感じた。
それが睡眠から覚めた自分の意識と気付くのに僅かな時間を要した。
楽しそうな声と、明るい音楽。
街道で、数名が演奏しているようだった。
それは音の旋律そのままの楽しそうなものであるが、今の自分にはいいものではない。
ベッドが温くて気持ち良いのに、安眠妨害されたからだ。
それに。
ただでさえ、この時期は安眠出来ない。
落ち着かないんだ。 それはもう、色んな意味で。
上司の顔が頭から離れないんです。
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「…………うるせぇ……」
「あら。こんな時間までグータラ寝ている貴方が悪いのではなくて、ロゼ?」
思わず呻くとすぐに来た声。
重い瞼を開けると、ベッド脇にレディナが立っていた。
ロゼウスと目が合うと、優雅で綺麗な微笑みを浮かべる。
「おはよう、ロゼ」
「…おはよう……いつ、起きた?」
まだ眠いので布団から出ずに疑問に思った事を訊くと、くすくす笑われた。
「貴方が呻く5時間前。たっぷり寝顔を拝ませていただきましたわ」
「あのなぁ………」
「あら。だって特にこれと言ってする事ありませんもの。だから貴方を観察したの」
「何で俺」
「飽きないから」
楽しそうに言われ思わず黙る。
「疲れているのならまだ寝れば良いのでしょうけれど、今日はそうは行かないわ。31日ですもの」
「わかってる………それに疲れは大分取れたから……………ん?」
身体を起こしたロゼウスは、自分の身体を見てからレディナを見る。
レディナはいつもと変わらないニコニコ笑顔を浮かべているが、ロゼウスがそれは「何かを非常に楽しんでいる時」の笑顔と知っているので、レディナをじっと見た。
「着ていた筈の俺の服はどこだ。それとあの服は何だ」
ロゼウスが交互に凝視しているのは、壁からぶら下がっている服とレディナ。
昨日着ていた服は…まぁ何と言うかレディナとのアレの最中に脱いで床に置いたと思うのだが、どこにも見当たらない。
だから今の自分は何も着ていないワケで。
そんなロゼウスに、レディナはケロリと言う。
「別にどうって事ありませんわ。貴方の服を洗濯して、そっちの服を着てもらうですから」
「洗濯する?」
「そう。どうせシワクチャですもの、洗濯した方が服に良いと思うけれど? それにせっかくのハロウィンなんですから、楽しめる所は楽しまないと」
だからそっちを着てもらわないと困りますわ、うふふ。
そう言って洗面所へ消えていくレディナの姿を見送った後、ロゼウスは壁からぶら下がっている服を見た。
自分が普段から着ている服と同じ色の、黒い服。
けれど、その服の造りは。
「……まるで軍服だな」
昔の自分が着ていたから、袖を通しても違和感はないだろう。
けれど。
「いつ、サイズを測ったんだ……?」
測られた覚えがない。
ロゼウスは首を傾げた。
++++
前方からこちらの方向へ歩く人。
出店で客に釣り銭を渡している幻獣。
頭上を箒などで飛んで行く魔法使い。
とにかく、ロゼウスとレディナは色んな人に見られていた。
水大神官副官として知られているロゼウスが軍服のようなものを着て歩いていて、その隣には、魔族とわかる綺麗な女性。
ロゼウスが人間と魔族のキメラだと言う事は公になっているが、それを除いても身長と目の色の為に街を歩けばそれなりに見られる。
オマケに今は、隣を歩いているのが『女性』だと言うのは大きなものだ。
職は何であれ、有名人である独身男性が1人の女性と一緒に歩いていれば「もしかして」と思うのは自然だった。
(目立っているわ……)
(目立ってるな……別に、予想していた事だからいいんだけどな)
(あらそうなの? その割には嫌そうに見えるけれど)
(嫌だな。だからってそれを顔に出すとまずいし、それに、こう言う状況は精気を食べやすいだろ)
(それもそうね)
周りには聞こえないほどの微かな声で2人は会話する。
レディナは微笑んで、ロゼウスは店を物色するように視線をぶらぶらさせて。
人々の視線が集まると言う事は、その人達の意識、心が自分達へ向いていると言う事。
そう言う時は、その方向へ自然と精気が流れるのだ。
だから魔族であるレディナと、半魔族のロゼウスは黙って精気を頂いている。
この日に魔族達が街へ現れるのもその為だった。
街に行けば、いつも以上の精気が流れているから。
2人は先程からすれ違う人混みの中に、何度も魔族の姿を見ている。
レディナは精気を吸収しつつ、少し考えて訊いた。
「ねえ。どこかに、美味しくて手軽に食べられるお店ってあるかしら?」
「えーと………ある」
「ではそこに行きましょう。少し休みたいし」
「ついさっき歩き始めただろ」
「いいじゃないの。さ、場所は?」
「あー……魔法省本部前の広場だ」
「まあ素敵」
どこら辺が?
そう思ったが黙っておいた。
「ロゼ、どんなお店なのか教えて下さる?」
「あー………無口だけど感動屋のヒゲ店長と若作りの奥さんとその間に出来た5人の子供が切り盛りする店」
「……面白そうね」
「そう言うと思った。味はいいと思う。グラタンとハンバーグとシチューが美味い。あとスープも」
「いいわね。あら?」
ふとレディナが立ち止まり、スススと歩いていった。
何なのかと思い後を追うと、公園広場へ続く広い道だった。
それを見てこの近くに大きな『扉』がある事を思い出す。
「どうした?」
「精霊の匂いがしたのよ。確かこの近く………………まぁ」
短い呟き。
けれど、そこには嬉しさがある。
「何だ?」
レディナに訊くが、レディナはくすくす笑うだけだ。
ロゼウスを見ると、一点を指差す。
「あそこ。ほら、見てごらんなさい」
「? …………………あ」
背の高い、長い黒髪を女の子のようにポニーテールにしている精霊1人。
その傍にピッタリと居るのは、よく知った王子と王女と、少し前に会った事のある王女。
何か話しているらしい。かなり距離がある為、こちらに気付いていなかった。
「観光に来たのかしら?」
「だろうな………って何だ」
回れ右をして行こうとすると、袖を掴まれた。
レディナはニッコリ笑っている。
「あっち、行っては駄目かしら?」
「…駄目」
「まぁ、どうして?」
「……チョチョコリーナちゃんがいるから」
少しだけ詰まって言っただけだが、レディナはそれで理解したらしい。
つまらなさそうにシュバルツ達の方を見てから、必死と言った目をしているロゼウスを見る。
やがて、溜息をついた。
「わかったわ、ロゼ。わたくし諦めます」
その言葉に、ロゼウスが目に見えてホッとしていた。
余程向こうへ行きたくないらしい。
その訳をレディナはよく知っているが、普通に「友人のレディナだ」とでも言えばいいのにと思う。
しかし人間と言うのはそうはいかないようだ。
レディナが色々考えている間に、シュバルツは子供達を連れて歩き出した。
その姿は、すぐ人混みに紛れ、見えなくなる。
「仕方ありませんわね、貴方が酷い男と思われたくありませんから」
「悪い。…視線の重圧には堪えられそうにないし……」
ロゼウスがガクリと肩を落として下を向いた。
それを見て、レディナは目を丸くする。
自然と手が伸びて、ロゼウスの頭を撫でた。
ロゼウスの背が高いから背伸びする形になったがレディナは気にせず撫で、手を下ろした。
「悩むと言う事は、貴方がその方の事をきちんと考えている証拠よ。あの方の事で悩むのも、あの女の子の事で悩むのも。それはいい事だとわたくしは思うの。悪い事ではないと思うわ。だから暗い顔をするのは止めましょう?」
ね?と微笑まれる。
ロゼウスはそれに少しだけ笑う。
「お前のそう言う変にサッパリした所、結構好きだな」
「まぁ、嬉しい。わたくしは貴方のウジウジ悩む所が好きよ」
「……………それは誉めているのか貶しているのか」
「失礼ね。誉めているに決まっているでしょう? では、行きましょうか」
そう言ってニッコリ微笑むと、ロゼウスの手を取って歩み出す。
ロゼウスは突然の事に驚いたが、レディナが進んでいる方向にも驚いた。
迷う事無く、魔法省本部とは逆方向へ進んでいる。
「お、おい…そっちは魔法省本部とは逆だぞ」
店があるのは本部の方だ。
さっきシュバルツが子供達を連れて行ったのも、本部の方。
そっちへ行けば子供達とバッタリ会うと思っていたから内心ホッとするが、レディナの行動には慌ててしまう。
何か食べたいんじゃなかったのか。
レディナを止めると、少し考えているようだった。
「ねえロゼ。貴方がさっき教えてくれたお店、予約している…と言うのではないわよね?」
「あぁ、そうだ。どこかの高級レストランじゃないしな。それに、そう言うのは面倒だから」
「良かった」
ホッとした声にロゼウスは不思議に思う。
「何がだ?」
「わたくしね、ちょっと考えたのよ。お店は諦めてどこか高い屋根の上に行って、気楽に『光の雨』を見ようかしら、って。人型だと見られたらまずいでしょうから、変身して。そうすれば寒いのも平気でしょうし……どうかしら?」
レディナが笑う。
何かをお願いする時の笑みでも、何かを強要する時のような笑みでもない。
ただ、そう思って言っているだけに見える。
でも。
ロゼウスはレディナの言葉に一瞬だけ驚いた顔を見せたが、どこか明るさを感じる溜息をつくと、笑みを浮かべた。
「いいんじゃないか。あの、レディナ」
「何かしら?」
「ありがとう」
「あら? わたくし、何もしていないわよ?」
「言いたくなっただけだ」
「そう? では、早速一番高い屋根を探さなくてはいけませんわね」
「一番、高い?」
「そう。一番高い屋根の上からなら、きっと素晴らしい眺めになるでしょう」
「…そうだな。じゃあ、いい場所を探すか?」
「えぇ」
誰もいない屋根の上なら視線を感じない。
あの『光の雨』を浴びながらあの人を想っても、誰の目も気にせず、気楽にいられる。
彼女が気遣ってくれたかはわからないが、ロゼウスはもう一度、心の中で礼を言った。
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