冬の夜はとても静かで寒い。
けれど、その寒さに包まれた街が静かかと言うとそうでもない。
微かに聞こえる話し声や街の音が絶える事はなく、常に誰かが生活している感覚があって、何となく安心する。
シグナルは明るい火のともったランタンを片手に、学校へ向かって歩く。
シグナルの影はゆるりと長い。
昼は「営業中」の看板を掛けている店も「本日営業終了」の看板をぶら下げていて、商店街は昼の賑やかさが嘘のようだった。
時折、どこからか笑い声が聞こえる。
それを耳にしながら早足で行くシグナルは、罪悪感を感じていた。
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リボンを落としてしまった事に気付いてすぐ、オカリナに謝って、すぐ探しに行った。
にも関わらずリボンを見つけられなかった。
生徒会室や教室、廊下など思いつく限りの場所を探したが見つからず、最後には落とし物として届けられていないか職員室にも行った。
ギリギリの時間まで探したけれど見つからなくて、教師達は「また明日探すといい」と言った。
何やら重大な会議でもあるらしく、どんなに残って探したいと言っても聞き届けられなかった。
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明日じゃ駄目なんだ。
今すぐ。
今すぐオカリナに渡したいのに。
謝った時、オカリナは少し笑って待つと言ってくれた。
けれどその時の目は悲しそうだった。
それを思い出すと、早くリボンを見つけなきゃ、と言う気持ちがどんどん大きくなる。
「一体どこで落としたんだろ…」
わからなくて途方に暮れた呟きが漏れる。
声と一緒に白い息が空中に舞う。
自分は今からこっそり学校に忍び込む。
時間は21時半をとっくに過ぎていて、家にいる両親は自分はもう寝ていると思っている。
普段から早寝だからだ。
早寝早起きしていて良かったと思う反面、家にいる両親に後ろめたさを感じる。
そして、悪い事をしていると自覚しているからか、空気がいつもと違うような気がする。
いつもの冬の夜で空気は冷たくて、吐く息は白い。
だけど、何だか変な感じがするのは気のせいだろうか。
ぴりぴりするような、何だか落ち着かない気分だ。
何かが近くにいるようだった。
悪い事をしていると思っているからかな。
裏道を通っていくと、すぐに学校をぐるりと取り囲む壁にぶつかる。
正門からずっと向こうにある壁だ。少し高い。
この壁を上れば目の前は校舎裏。
鍵が壊れたままの窓が左へ行った所にあるらしい。
そこから中に入れるよ、と生徒会長が教えてくれた。
生徒会長が教えていいのかなと思ったが、悪戯好きの生徒会長だ。
責任よりもリボン探さなきゃ男じゃないよ、と言って、シグナルの背中をドンと押してきた。
それで忍び込もうと決心したが、いざ壁を目の前にすると両親と学校にごめんなさい、と言う気持ちになる。
しかし
一刻も早くリボンを見つけだしてオカリナに渡す!
…と言う気持ちの方がずっと強い。
天秤にかければそっちの方がずっと重いから、心の天秤は簡単に傾いた。
ランタンの火に息を吹きかけて消すと、取っ手を口でくわえて壁に触れる。
魔法を使うと学校内の教師に気付かれるかもしれないから、壁の僅かなへこみを使って登ることにした。
一番上へ着くと、落っこちないように座る。
ランタンを置いて木々の間から中の様子を伺った。
真っ暗で静かだ。
右も左も真っ暗だが、幻獣のシグナルは夜目が利く。
木の向こうに校舎が佇んでいた。
そのずっと左の方を見つめ誰もいないのを確認すると、再びランタンの取っ手をくわえて、落っこちないように、慎重に動く。
再び心の中で謝った瞬間、辺りがシンと静かになった。
音と言う音全てが一瞬にして消えた。
静かにそっと聞こえていた知らない音も、誰かの話し声も、全ての「街の音」が「消えた」。
あまりに突然で異常な出来事に、シグナルは降りようとした体勢のまま辺りに目を凝らしてじっと耳を澄ます。
何か変だ、おかしい危険だと獣の勘が言う。
こう言う時はその場から退散するのが常だ。
シグナルは学校内へ忍び込むのを断念してさっきまで突っ立っていた所へ飛び降りる。
「よ…っ!」
上手く着地して元来た道を走って行くと、ランタンの取っ手がキィキィ言う音と自分の走る音が耳に障る。
よくわからないけれど今は早く家に戻らないと危険だ。
走る街はいつもと変わらない姿で明かりも灯っているのに、異様な静けさで音が全く無いし、街の人の気配も無い。
一瞬にしてゴーストタウンになったようだ。
(何がどうなってるんだろ…)
そう思って視線を空へ向けた時、何かが鋭く光った。
空気を切ってこっちへ飛んでくるので慌てて伏せると、背後からガシャンと割れる音。
そっと音の方を向いてみると、本屋の窓ガラスが粉々に割れていた。
「…………………………………………………………ええと…」
そっと中を覗いて見る。
これだけ派手な音がしたのに、誰も出てこない。
変だと思いつつも怒られるかなと思っていたシグナルは少しホッとする。
と、その目が店内の壁を見てぎくりと凍った。
壁にひびを入れて突き刺さっているのは1本の大きな氷柱。
大人の腕ほどの太さと大きさはあるソレを見て、アレを避けていなかったらと考えてゾッとする。
きっと、痛いと思う間もなくあの世行きだ。
「…どうしよう…」
やっぱり何か変だ。
音は消えちゃったしこんなものは飛んでくるし。
どうしよう、無事に帰れるかな。
フと、手に持っていたランタンが無いのに気付いた。
見ると、少し離れた所で火の無いランタンがコロコロ転がっている。
拾おうと動いた時、遠く離れた所から何かを感じた気がした。
「…気のせいかな?」
そう呟いて一歩足を踏み出す。
「伏せろ!!」
強い声に身体がビクリと震えた。
突然だったが、言われた通りに、素早く伏せる。
その直後、さっきと同じような音を立て続けに聞いた。
連続して何かが割れて砕ける音。
静かになってから起き上がり、理解する。
本屋の壁には大小様々な氷柱が突き刺さっていた。
当たっていたら痛いんだろうなとかコレは僕のせいになるのかな、とかボンヤリ考えていると、自分の影に影が2つ重なっている。
今まで感じなかった気配がすぐ後ろにあった。
「っ!?」
「あぁ、すまぬ。驚かしてしまったか」
片手を軽く挙げて謝ってきた相手を見て、シグナルは目を丸くする。
1人はエレナと同じ白銀の髪をした美青年だ。
目は覚めるような青、左頬の大きな黒い痣が白い肌にクッキリとあるから、ジュエルビーストだろう。
もう1人は黒髪にサングラスの、長身の青年。
こちらも左頬に痣があったが色は真紅だった。
そして髪から尖った耳が覗いているから魔族だとわかる。
2人とも、夜に溶けそうなくらい黒い服を着ている。
目を丸くしたままのシグナルに、黒髪の青年が少し身体を屈めて言う。
顔を隠すサングラスが少し怖いが、話す言葉は優しげだ。
「ここは危ないから離れた方がいい。ここから真っ直ぐ行った所にある教会に入れば、"元の場所"に戻る事が出来るよ」
「あ、の…戻れる、って…何が、ですか?」
「…音が、無いだろう」
白銀の方の青年が言い、シグナルは頷く。
「ここは元いた空間ではなく、魔物が創った『疑似空間』だ」
「…いや、それ以前に生徒は放課後来るなと連絡をしなかったのだろうか…まあ良い」
ぎじくうかん、って何だろう。
いや、その前に今何て?
魔物?
魔物って元魔族だよね。
シグナルが不思議そうな顔をしているのに気付いた青年は、表情を変えず、淡々と言う。
「疑似空間とは本物に似せて創られた嘘の場所の事だ。教会の入り口から元の空間へ繋げてある。そこまで走れ。死にたくないだろう」
色んな事をいっぺんに言われシグナルは混乱する。
確かに死にたくはないけれど、どうしてこうなるんだろう。
リボンを探しに来ただけなのに魔物とか、「ぎじくうかん」とか。
いや、学校に忍び込もうとしていたのは悪かったとは思うけれど、うーん何で?
頭の中で整理していると、ポンポンと肩を叩かれた。
「取り敢えず、教会まで全速力で走れ。中へ入ればルーク牧師が待っている。詳しい事は彼に訊くと良い。さあ、行け」
ルーク牧師はよく知っている。
サッカーが好きな、短い茶金髪に眼鏡の牧師だ。
今の状況が悪いのは確かだし、目の前の2人を信用していいと思った。
シグナルは小さく頷くと教会へ向かって走り出す。
その姿を見ていた青年2人は、同時に息を吐いた。
黒髪の青年は白銀髪の青年を見る。
シグナルに向けていた穏やかな空気は消え、ピリリと緊張のあるものになる。
「どうしますか、旦那?」
「奴はここから逃げられぬ事に気付いて慌てているだろうからな…すぐに見つけられるだろう」
そう言った白銀髪の青年の髪が一瞬で黒に染まり、青い目は金色に変化した。
金色の目に、冷たい色が灯る。
「見つけ次第、消滅させる。先に見つけたら連絡を」
「あそこへは送らないんですか」
「しない。奴は今までに4人の魂を喰った。私が直接"消す"」
「了解」
それを聞くと同時に青年は背中に黒いコウモリのような翼を生やし、音のない世界を飛んでいく。
その姿はすぐに夜の黒と一緒になってわからなくなる。
見送った青年は、しばし考え呟いた。
「…無理はしないで下さいよ」
そう呟くと、本屋の壁に落ちる影にするりと溶けて消えた。
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