シュバルツの不安は、全く必要なかった。
魔物は走って逃げるシリウスを追っていたが、それが罠だと気付いたのはシリウスが教会前でロゼウスと合流した時。
ロゼウスも何人かの魔物に追われていたようだが、涼しい顔で撃退していた。
罠に気付いた魔物達の動きが鈍るが、相手は2人、こちらは12人。
相手が最強と名高い大神官と副官でも、勝機はある。
上手く行けば、極上の魂を頂戴出来るかもしれない。

そんな自信に満ちた思いは、すぐに砕かれる。

シリウスに攻撃しようとした魔物はシリウスの視界に入った瞬間、風で吹き飛ばされ、
飛び道具を使おうとしていた魔物はその場で氷柱に閉じこめられた。
シリウスは無声魔法を使いながら、魔物が呪文を唱えるより早く動き、命に響かない程度の、けれど動きを封じるには充分な攻撃を叩き込んでいく。
何人かは標的をロゼウスに変更するが、ロゼウスはどの攻撃も避け、容赦ない一撃を加える。
顔や顎を蹴飛ばす、鳩尾を殴る等々。
相手の動きを止める攻撃は、実用的で無駄が無い。
動けなくなった魔物は倒れ、自分の影をロゼウスに操られ、影から伸びた触手に縛られる。
既に5人倒し、シリウスとロゼウスの2人は、背中合わせに周囲を囲む魔物と土人形を見る。
2人とも素手だ。
それに対し、周囲を囲んでいる魔物は剣や刀など、各々の武器を構えている。
「素手に対し武器か。フェアではないな」
「うるせェ!!」
シリウスの呟きに怒気を閃かせて1人襲いかかるが、流れるように避けられ、背中に強烈なかかと落としをくらい、ゲホゲホとむせた。
その間に他の魔物と同じように影に縛られ、影の触手が蜘蛛の足のように変化して、魔物を素早く隅へ移す。
邪魔だと思ったロゼウスが隅へ移動させたのだ。
その光景に一瞬気を取られた者もいたが、すぐ他の者と一斉に飛びかかった。
けれど背中合わせに戦うシリウスとロゼウスの動きは無駄が無い。
シリウスの背中を狙えばロゼウスに殴り飛ばされ、逆にロゼウスを狙えばシリウスの攻撃に遭う。
2分とかからない内に4人倒したが、残る魔物は消えていた。
「…隠れたか」
倒した魔物全員に睡眠魔法をかけたシリウスが、辺りを見回して呟く。
ロゼウスは辺りをじっと見て、倒して縛り上げた魔物の様子を見るフリをし、シリウスに耳打ちする。
「教会の屋根に2人、花屋の屋根に1人います」
「そうか」
「…俺の"影"に取り込みますか?」
「そうだな……いや、待て」
さっきからずっと持っているだけだった刀を、すらりと抜く。
鞘はシリウスの手から放れた瞬間、霞になって消えた。
それを見たロゼウスはしゃがんで自分の影に手をついて、そこから引き抜くようにして柄も刀身も、真っ黒な剣を『出した』。
すると、武器を構えた2人を囲むように、濃い霧が立ちこめる。
その霧から悪意に満ちた魔法の匂いがぷんぷんした。
シリウスは顔をしかめる。
ロゼウスの姿が全く見えないが、隣に気配を感じる。
その間も殺気が近づいてくるのが解った。
「来るぞ」
「了解」
静かな答えと同時に、2人は散る。
霧の向こうで剣と剣がぶつかる音がして火花が散ったのを目にした。
瞬間、シリウスも誰かの剣撃を受ける。
刃で軽く払って相手の方を見ると、さっきまですぐ隣にいたロゼウスの姿は見えなかったのに、なぜか敵の姿がボンヤリと見えた。
魔物の顔はよく見えないしズボンを履いているが、体格からして女とわかる。
服装を見たシリウスは不審に思った。
どの魔物も、この色のズボンは履いていなかった。
どう言う事だと考えていると、魔物が剣を構えて突進してきた。
余裕で避け、相手の剣を受け止める。
すぐに剣を払おうとしたが、魔物の顔を見た瞬間、凍り付いた。
長い濃紺の髪と、ライム色の目をした人間の女性。
彼女にどこか違和感を感じるのは、浮かべている毒々しい笑みと、彼女が持っている剣のせいだ。
けれどその違和感にシリウスは気付かず、目の前の女性から目が離せない。
「ふふ」
彼女がニィ、と嘲るように笑った。

女性は手首の動きで剣を動かしシリウスの腹を刺す。
シリウスの体がぐらりと傾いた。

++++

『本日、クリスマスのため休店とさせていただきます。 【エグザ】』

光る文字が浮かぶ看板を、入り口に下げた『エグザ』の中は賑やかだった。
外からは中がボヤけて見えないように魔法がかけられた店内で、老若男女が楽しく過ごしている。
ほぼ全員が白銀髪で、左頬か右頬に黒い痣を持っていた。
全員、姓に『スヴァンホルム』を持っているか、もしくはスヴァンホルムの血縁者だ。
つまり、全員スヴァンホルムの一族の者である。
普段は魔界・人間界に散っている者達が、今日だけは人間界のここに集まってクリスマスを祝っていた。
ここの営業者で店長のランディーヌは、何代か前のスノーサハラの長と結婚した魔女で、今日は彼女の提案で『エグザ』でクリスマスを過ごす事になった。
店内では一足先に疑似空間から戻ったサリレイとセイレムが、クリスマスを堪能していた。
サリレイは姉の娘を膝に乗せてお喋りしている。
セイレムは兄と一緒に料理を食べていた。
「ところでセイレム」
「何、兄上」
「シリウスとロゼウスはどうした? いないぞ?」
「あぁ、2人ね」
セイレムは自分のグラスに酒をなみなみと注いで、兄のグラスにも注ぎ、一口飲む。
表情を変えずに、声を少し潜めた。
「先に戻っていてくれって言われたんだよ。捕縛した魔物を他の魔王に頼んで送還してもらうから、って」
「何で一緒に戻らなかったんだ? 捕縛した魔物が何かしたら危ないだろ」
「平気でしょ、シリウスもロゼウスも強いんだからさ。いざとなったら、シリウスが時間を止めるだろうし。
それに、あそこにあのまま俺とサリィが残っていたら、魔王の魔力にやられて腰抜ける。ただの足手まといだろ?」
兄が苦笑した。
「そーだった…魔王の魔力って物凄いんだったな。お前とサリィ、シリウスが魔王になった時に腰抜かして…あぁ悪い」
「別に」
「そっか。あああ、でも心配だー」
「兄上心配性だな。ロゼウスも付いてるから、心配いらないって。それより、この肉美味かったよ」
「あっ、お前それ最後の一切れ!!」
兄の抗議の声を無視して、最後の一切れを口に放り込む。
特製ソースの味が口一杯に広がって幸せ気分になったセイレムは、視界の隅にシリウスとロゼウスを見つけた。
2人とも今帰ってきたらしく、父と母に出迎えられていた。
しかし、2人は他の家族やエレナに軽く挨拶すると、すぐ2階へ行ってしまう。
セイレムはおや、と思ったがすぐに降りてくるだろうと思い気にするのを止めた。
同じく2人を見ていたサリレイは、あれれ、と姪と一緒に首を傾げた。
姪は大きな紫色の目をくりくりさせる。
「サリーおじちゃん、シリウスおじちゃんとロゼウスおじちゃん、どーしてうえにいっちゃったの?」
「うーん…きっと、服が汚れちゃったから、着替えに行ったんだよ」
にこりと微笑んで言うと姪は納得したらしく、降りてきたらロゼウスに肩車してもらうとはしゃいだ。
そんな中、サリレイとセイレムは、「コートの下に魔物の返り血でも付いた服着てるのかな」と物騒な事を考えた。
だが2人ともいつもと変わらない様子に見えた。
だから、大丈夫だろう。

++++

2階に上がって奥の部屋。
物置になっているその部屋に入って、2人はコートを脱いだ。
空気が冷えていて少し寒いが、さっきまで外にいたので気にならない。
サリレイとセイレムの想像通り、2人の服には微量だが魔物の返り血が付いている。
コートには血が付かないように魔法をかけたので、コートは無事だが、服は洗濯しなくてはいけない。
ただし、付いている血が魔物の物だから、光属性の魔法での特別な『洗濯』が必要だが。
「…ロゼウス、すまんが結界を張ってくれ。気付かれないように」
「はい」
ロゼウスがドアの方を一瞥する。
それだけで結界が張られた。
それを確認したシリウスは、ロゼウスの服に付いた血をなぞるように手をスッ、と動かす。
淡い光で満たされた手の平が血の付いた箇所をなぞるように過ぎた後、服に付いていた血は消えていた。
同じように自分の服に付いた血を消し、終わりだと言う顔をロゼウスに向け、ドアの方へ行く。
「下に行こう。あまり遅いと、皆が心配する」
と、腕を掴まれた。
何だ、と振り向けば、そこにはどこか落ち着かない様子のロゼウス。
「どうした」
「大丈夫ですか」
ここに帰るまで何度もされた質問に、シリウスは長い溜息をついた。
ロゼウスの手をどける。
「何でもない、と何度も言っただろう。腹の傷はただのかすり傷で、傷は完全に塞いだ」
「それは…わかってますけど……でも、本当に」
「…くどい。私は先に降りているからな。お前も早く来い」
「ですが」
「私は大丈夫だ」
ロゼウスを安心させるように微笑む。
それはひどく綺麗な笑みだが、ロゼウスの表情は逆に曇った。
けれど、シリウスはさっさと出て行ってしまった。
ロゼウスは、「あーあ」と溜息をつく。
頭には疑似空間での事が蘇る。
晴れていく『幻を見せる霧』、血を流して倒れている女の魔物。
魔物を見つめる、穴が開いたように暗く冷たい、シリウスの顔。
「あれが『何でもない』の顔ですか…旦那」
服と顔に魔物の返り血を付けたシリウスの様子は暗くて、不安になったロゼウスが何を訊いても「何でもない」の一点張りだった。
それはここに帰って来る間もそうで。
今の質問に何も答えてくれなかった所と、余裕で捕縛出来るであろう魔物相手に怪我をした所を見ると。
シリウスが幻で見せられたのは。
「……奥さん、かな」
それか、先代の2人のどちらか。
でなければシリウスはあんなに強がらない。
けれど自分の弱さを決して見せようとしないから、何を考えているのか、何を感じていたのか全くわからない。
「…俺が何かしたくても、結局は奥さんなんだよな」
もうこの世にいない存在でも、シリウスが彼女を思い出せば静かな顔が自然と微笑んでいるのを何度も見た。
だから彼女はずるいし羨ましいと思う。
自分では無理な事が出来るから。
不謹慎なのだろうけれど、そう思う心はどうしようもない。
ロゼウスは立ち上がって窓から国立高校の方を見る。
今頃はクリスマス・ダンスパーティーの最中だろう。
そこであの子はパーティーを楽しんでるんだろうなと思った。
そこまで考えて苦笑する。
もし行ったりしたら叱咤されるに決まってる。
女の子と言う存在は強いと、彼女で知ったから。
「しっかり、しないとな」
形として見えなくとも、これだけはハッキリしている事。

先が見えなくても、迷ってはいけない。
生きて守ると決めたから。



BACK / NEXT

Blue Garden (C) Kanae Hisaka All Rights Reserved.
→ Seirios へ戻る?